with kurashi
02 May 2019
暮らしなるものといかにして相対すればよいのか、そのことをわからないまま、ぐねぐねと、さまざまなことをたのしく書き散らし、終着点を見失い、なにを書き足せばいいのか判然としなくなり、そのうち悩んでいたことすらもなかば忘れて、わらってしまうようだけどもうたっぷり1年以上が経つ。ちょっと読み返すだけでかんたんにわかるけれど、ぼくたちはとある春の日のとても寛いだ午後をきっかけにこのテキストを書き始めた。1年半も前の春の日、まだぼくたちは吉祥寺の傾きかけたような家に住んでいて(いや決して傾いてなどいなかったけれど、あの崩れかけの本棚のけなげさのことがどうしても頭から離れなくてそんな風にも言いたくなってしまう)、わすれがたく素晴らしい半日を過ごしたのだった。ここに書きつけておいてよかった、あのきらきらのレモンのことも錦糸卵のことも陽射しのことも、いや陽射しのことは書かれていないがそれでも、ぼくたちはそういったことをこの古いテキストからあざやかに思い出すことができる。
その空白の期間にぼくたちの生活は、言うまでもなく様変わりした。知らない街に住んで知らない仕事を始め、それに新たな美しい同居人も迎えた。共に住むことで暮らしなるものは発生するのだと、キッチンに立ちながらそんなことも冗談めかして話したけど、それは本当のことなのだろう。あの部屋よりもはるかに使い勝手のよさそうなオープン・キッチン。ひろびろとしたダイニングルームに、IKEAのいちばん大きくて頑丈な、よほどのことがなければ歪みそうにもない本棚をいくつも置いて、その余白に花すらもかざって(でも、その本棚に明朗な感じでならべられているそれらの本は「一群の」書物たちで、それ以外にも住居のあちこちに散らばったちいさくて頼りない書棚には、雑然とした背表紙がいまもわらわらと息づいているんだったよね)。
ぼくたちは朝から混み合った電車に乗って、それから動く歩道のうえをなめらかにすべって水を渡り、海辺のビルディングへと通う。海が近いはずなのに大きな窓からはどういうわけか寂しい空しか見えない、あの空疎で巨大な建て物につつまれて、濁流のようにつぎつぎと情報のながれくるディスプレイを一日中ながめている。それでも、ぼくたちはなかなかうまくやっていると思うけれど。ねえ、路地裏にひっそりとあるスープカレーのお店にはもう行った? あそこに行くと、かつて暮らしていた場所のことを思い出してひそかに悲しくなり、食事がうまく喉をとおらなくなる。あの海辺では完膚なきまでに喫煙所が駆逐されていて、喫煙スペースのある唯一のガラス張りの喫茶店には顔のない男たちがゆらゆらと並んでいるよね。ときおりぼくたちもまたその列にゆらゆらと並んで、夢見心地で夢のことなんかをひたすら考えて、煙を吸うためだけに買い求めた乾いたマフィンのぜんぜんおいしくないことに文字通り閉口していた。食べることには一定の困難がともなう。食べることが眠ることとおなじくらい楽だったらよいのにといつも思っている。近頃はうまく食事をするために、悲しみのない状況を巧妙にあつらえなくてはならない日々がつづいていて、だからそう、ぼくたちは以前よりもいっそう暮らしを必要とするようになっていた。配慮のゆきとどいた暮らしのことを、現実からのあまえた逃避だなんて思うための頼もしい気力など残されておらず、ぼくたちはどうにかサバイブするための頼りない武器として、ともに私的な食卓を囲むしかないのだった。
それにもちろん、あの流行り病のことについても話さなくてはならない。むろんぼくたちはあらゆるぼくたちを代表することはできないが、少なくともぼくたちのうちに限定された経験においては、暮らしのようなものが生のすべてを侵食していった。それによって暮らしは暮らしとしてのかたちを失う。ぼくたちがもっとも危機感をつのらせていた一時期には、朝、眠たい目をこすりながら起きることと、社会的な端末にログインすることがほぼ同時に行われた。髪を梳かさなくても、日焼け止めクリームを塗らなくてもいい。昼食のためにだれかに連れ出されることもなくなり、悲しいスープカレー屋とも煙のたちこめる喫茶店とも無縁になって、空腹になるたび、不定期に、よくわからない液体状のなにかを口にしていた。それでもディスプレイは、以前とまったく同じ速度で情報をもたらしつづける。ぼくたちはPCの内臓マイクにむかってはきはきと話しかけ、無駄の省かれた声をイヤフォンから耳へとつぎつぎとながしこみ、ひっきりなしにキーボードを叩いてあちこちにメッセージを送り続け、そして窓の外ですっかり日の昏れたことにも気づかない。
そういうわけで、1年半の時をこえてぼくたちは再び、新しい街で、屈託のない愉しい午後を過ごすことに決めたのだった。ひとつの部屋に何人かで集って食事をするだなんて、感染にかかわるリスクが往時よりは多少やわらいだように思われるいまでも、まだ褒められたことではないのだろう。しかし私的な領域はいつだっていくらか自由だ。ぼくたちはあのひとときによって、自覚しているよりもはるかに深い喜びを得ていたような気がする。そうだろうか。わからない。もうすぐ夜が明ける。こんな時間に目醒めているせいでこんなに寂しいことを言ってしまうだけなのかもしれない。あかるいまひるまにこれを読み返すとき、おもわず感傷的な一文を消してしまうのかもしれない(もちろんこのリポジトリには、削除の履歴だって残りつづける)。眠ることが、夢見ることと同じくらい楽だったらよいのに。
思えばあのときからぼくたちは自らのうちで、単に分裂していただけなのだろう。ぼくたちは、ぼくときみ(たち)が差異をかかえたまま、こんなふうに一連の文章を記すことに夢中になっていて、そうした複数性のなかにある分裂のことは明晰に愉しんでいたかもしれない。けれどもぼくたちは、複数性の渦のなかへ飛び込むまえからすでに、確かに一貫したひとりではありえないのだった。そのことをときどき忘れてしまう。
暮らしなるものは、それがていねいであろうとなかろうと、そこに血の気があってもなくても、結局のところ、ぼくたちの身体を存続させるためになんらかの方法で執り行われるしかない。暮らしがいくら逃避的・自閉的なものであったとしても、あるいは暮らしのためになにかが搾取されているのだとしても、ぼくたちはそれを完全に退けることはできない。それは言ってしまえば、ぼくたちにこの身体のある限り、そして身体に満ちようとしているわたくしを完全なる主体性の手には引き渡すことのできない限り、いかんともしがたいことだ。だからそこにかかわる矛盾はくっきりと解かれるべきものではなく、もう少し回りくどいやりかたで細部から描かれるべきものだろう。もしも仮に抽象的な思考をどこまでも遠くまで走らせて、くだらない暮らしを完全に否定することのできる優れた言葉のところまでたどり着いたとしたら、そこにはおそらく、ぼくたちの身体の終わりや、あるいは超越的な永遠さのようなものがどうしてもまとわりつくに違いない。死やら超越やらによって暮らしのことを朗々と位置付けたとしたって、暮らしの内に精密に手を触れることができるようには思えない(ということを言い切ってしまったが、こんなことを言ってはなんですが、これはきっと最終的には文章の終盤で言われるべきことでしょうね)。
あれから1年半が経って、吉祥寺ではない場所でふたたび私的な食卓を囲んで、ぼくたちはこの文章が完結しなかった理由にやっと思い当たったような気がする。ぼくたちは確かに迷っていた。でも、暮らしについて語るのに、ぼくたちほどふさわしいやつらはほかにいないんじゃないだろうか。
そんな経緯があるので、このテキストにおいてはぼく・たちがあちこちに散らばっているのみならず、ぼくたちの時間すらもが折り合いのつかないまま、無理やり折り畳まれて堆積している。過去に書かれたテキストや過去に書かれたかのようにふるまうテキストに対して、ぼくたちは改めて不完全な注釈を加えていくことになるだろう。
あの日のぼくたちは吉祥寺の商店街に集合し、まず肉屋で豚肉の切り落としを買ったんだよね。それから青果店で土のついた青葱と、きらきらひかるようなレモンおよび苺を。さらにセイユーに寄って、袋入りの茹で蕎麦と特売の卵パック、チューブに入ったもみじおろしを買い求めた。その店からぼくたちの家をつなぐルートは主に3通りあって、それは最短経路か、庭先でサボテンを売っている民家のある道、あるいは白い壁の洋菓子店のある道。ぼくたちは見せかけの熟慮の末、重々しく3つ目のルートを行くことを決定し、そして慕わしいパティシエによるコンサルティングを受けながら、(端から端までぜーんぶください!と言いそうになるのを堪えて)マスカットと紅ほっぺのタルトを木製のショーケースから選び取った。
その家を見てぼくたちはくちぐちに言った——これは暮らすための家だ、住むための家でなく。暮らすことと住むことのささやかな違い。イームズ夫妻の家具とかアラビアのお皿があるわけではないし、さほど整頓がゆきとどいているというわけでもないけれど。古物市で買い求めた曲線的な木肌のキッチンチェアが、この部屋でいちばん垢抜けている。壁の一面を覆い尽くすのは、場当たり的な建て増しのはてについに限界を迎えつつある本棚。一輪花を挿した小瓶を日当たりのよい窓辺に配置し(食卓塩の容器をリサイクルしたもの)、モランディの絵画もとい複製ポスターを額に入れて壁にかけている(東京ステーションギャラリーでモランディ展をやっていたのはいつだっけ。あのときに偶々配布されていたものだ)。何年もまえに従兄弟からゆずりうけた、チャーミングな薄橙の冷蔵庫がすみっこでずっと唸っている。
あの昼下がり、ぼくたちはレモンの輪切りにそなわったすばらしいジオメトリーに気がついた。せっかく美術書のたくさんある部屋だったのに、家ごと爆破させたいような衝動などまるで起こらず(そんなあざやかな情動をみとめるにはもう疲れきっていて)、それどころか、くすんだ配色の食卓に正円のひかりが落ちるのを何枚かの写真におさめるのを忘れなかった。
ていねいな暮らしは、Instagramの圏域をさやさやとながれゆくあの静謐な写真群と無縁ではない。それをやっていくことのありありとした空疎さを目前にしつつ、それでもぼくたちはしかるべき手触りのあるイメージをフレームに収め、しみじみと色あせたタイムラインに送り出してゆく。ぼくたちはゆるやかに括られたぼくたちをたがいの投稿のなかに見出しながら、暮らしに絡みつくかぎかっこをどうにかずらしながら暮らしを確かめあおうとしている(いつだったかぼくたちは、ぼくたちの投稿した肉のかたまりの写真を見ながら、こんなのまったく”ていねいな暮らし”じゃないと言って顔を見合わせて笑ったのだったっけ。そんなふうにしてぼくたちはかろうじて逃げ切ろうとしている——これはたぶんまだぎりぎりていねいな暮らしじゃない。ひるがえって淡い色をしたコーヒーは、あるいはクルミ入りのごつごつのパンは、曲げわっぱのお弁当は、洗いざらしのリネンのエプロンは、すでにていねいな暮らしに籠絡されており——)。
ぼくたちは問う(問うていた日々のことももう半ば忘れつつあるが——)。
悪いニュースがあったとき、ぼくたちはなぜロティサリーポークを焼くのか。
高度にカタログ化された世界に住まうぼくたちは、いくばくの資本があれば「ていねいな暮らし」の様相を驚くほど簡単に手に入れることができるけれど(まずは無印良品で一通りの準備が整う)、でもだからといってていねいさを富裕の度合いの高さに言い換えることはたぶんできない。むしろ、それは欠乏と飽和がまだらになる生の生き抜きかたと関係していて、だからあくまで資本は「いくばくか」でなければ、たぶん生活はていねいさのうちに留まろうとはしないだろう(パンがなければケーキを食べればいいじゃない!)。
「ていねいな暮らし」をめぐる言説や画像の群れは、記号化された価値の飛び交う消費空間の中をぐるぐると周回する(inlivingの動画を始めて見たとき、ぼくたちのけなげな祈りがめちゃめちゃに収奪されてしまったことがあまりにも明白になり、ほとんどめまいがするようだった。絵に描いたように可愛くて、ちょっとだけ貧乏な舌ったらずの女の子 )。いまに始まったことではない。「ていねいな暮らし」はあたかもぼくたちのなかで私的に閉じたふうを装いながら、しかしひりひりとした関係性のほうへとぼくたちの生を乱暴に引きずり出すことも忘れない。生活を高度に資本主義化されてしまったあとのぼくたちが閉じ込められた、終わりのないディスタンクシオン・ゲーム。繰り返される脱出の試みとその失敗。日々擦り切れていく生存を癒やすはずの「暮らし」の時間でさえ、それを「ていねいに」過ごそうとすればするほど、ぼくたちを消費していく当のものに近づいていく。安寧の地はどこにもない。ぼくたちの生はどうしようもなくみずからの労働力の最大化に供されているのであり、アフター5をどれだけ充実させ快を得ようとも、翌日には賃労働へと出かけていくのだ(認めざるをえないことだけれど、ていねいな暮らしとはオブラートに包んだあとの無償の家事労働、再生産のための営みでもある。良妻賢母への依存では飽き足らず、資本主義はぼくたちのほうにまでなまぬるい触手を伸ばしているのだと思う。inlivingの右手にはめられたあの飾り気のない指輪——)。「生きることはバラで飾られねばならない」(『暇と退屈の倫理学」)——その要請をあいまいにするために、ぼくたちは食卓に花を生けて譲歩する。そこに負わされた出来合いの意味を忘れたふりをして、あくまで素朴に満足しようと試みる。「せずにすめばよいのですが」が特権化されるのはバートルビーが死ぬからであり、生きようと試みるぼくたちには到底真似のできないことだった。
顔のあるふわふわのクッション、もといぬいぐるみを持ってる? おおきな犬とよく伸びる猫ともちもちの文鳥のどれがいちばん好き? 完全食COMPを食べたことがある? カロリーメイトを週に何本たべる? MacBookの天板にステッカーを貼ったことがある? Konmariの番組が古式ゆかしい家族の物語だって知ってた? スニーカーにはこだわってる? スターバックスのことをスタバと呼ぶことに抵抗はある? キナリノマガジンと北欧の暮らしのどっちが好き、それとも両方きらい? Kinforkを何冊持ってる? りんごのタルトとレモンパイのどちらが好き? 純喫茶派、それともサードウェーブ派? トーストをすごくふっくら焼ける機械の名前を覚えてる? 無印良品のアートディレクターの名前を何人言える? 目鼻のおおきな猫のドローイングのマグカップは——そうそう、リサラーソン! かもめ食堂ってなに? ビールは飲まない? 金木犀のようににおいたつジンの瓶を何本持ってる? 煙草はめったに吸わないけれど、めずらしい銘柄をためすのは好きでしょ? タイムとローリエとクミンとカルダモンの匂いをそれぞれ思い浮かべることができる? 石油ストーブを焚いた部屋の匂いは? ジャズは好き? きのこ帝国は? Lofi音楽は? Vaporwaveは? 暮らすべきか、死ぬべきかって誰が言ったんだったっけ? 暮らしが、チルアウトが、インスタグラムが、出口のない一人称でなかったことなんてある? やぶれかぶれでなかったことなんてある? 気分とか良さとかムード以上のものであったことなんてある? それでもやっていく?
携帯のデフォルトのアラームが鳴り、もう一度鳴り、あなたは起きる。(吉田恭大 『光と死語』 p.134)
暮らし右派と暮らし左派のねじれたせめぎ合い。一方でぼくたちの「暮らし」は減速し、色の褪めたノスタルジーのほうへと向かう。たとえばとある極東の島国のある種のぼくたちは、そこにれんめんとあるらしい習わしに敬意を払い、いささかラディカルな季節の移ろいに心をくばり、質素さがもたらすエモさをいつくしむ。着物や浴衣とよばれる衣装をときおり身につけ、米、豆、魚介をはじめとする土着的な食材を煮炊きして滋味ぶかい食事をつくり、植物を編んでつくった床や紙でできた間仕切りのある住居、ないしはそれをリノベーションした家屋に住まう。他方で——ぼくたちの「暮らし」は加速し、白熱する明るさのほうへ向かう。たとえば——ぼくたちは機能的でないものを入念に取り除き、説明可能な平明さのなかで暮らしを制御する。装飾を排したモノクロームの衣類、機能的でかろやかなスニーカー。よりすぐれた生を実現し、ぼくたちのからだを何としても支配するための完全食ないしはサプリメント、健康科学的な正しさに裏付けられたトレーニング。MacBook、Apple Watch、Google Home。白い壁とおおきなガラス窓にかこまれ、限定された直線的な家具をおさめつつも余白のたっぷり残された部屋。もちろん、こんなふうになんとなく暮らしの傾向を選り分けてみたとしても、ぼくたちは暮らし右派ないしは暮らし左派としてはっきりとした名乗りをあげることはできない。減速のなかには悪意のない懐古主義とヒッピーな愛情の双方が見え隠れするし、加速にはたぶんすさまじい現状肯定の果てのカタストロフィへと向かうだだっ子のような衝動がふくまれている。それに、減速的なものだって商品化されてしまえばさいご加速に与してしまうのだというのもなんだか聞き飽きた話だ(すぐれたビジネスパーソンは飛行機に乗ってチベットへと向かい、雄大な自然のなかで心身を静かにととのえ、大地に根ざした伝統と生活を称え、それからNYへと帰っていく。他方で無印良品的な経済はスローライフを切り売りし、顔のない消費者にも無理なく買い求められるていねいさを量産することであざやかに資本を稼ぎ出す……)。だれかと、あるいは一人で、なにかを買い求め、なにかを廃棄し、ぼくたちが素朴に暮らしを暮らすとき、ぼくたちはぼくたちの外側を参照せざるをえない。ぼくたちの内に閉じて他者を寄せつけないでいるはずの無音のていねいな暮らしすら、それはひとつの諦めの政治であり——ぼくたちは身の毛のよだつような報せをはこぶTwitterのアプリをアンインストールして、近所で高価すぎない肉を買い、それぞれが使い込んできた台所に引きこもり、ネット上のレシピを見ながらたくさんのハーブの匂いのするロティサリーポークを仕込み、ケセラセラと唱えながら焼きあがるのを待ち、一日経てば消えてしまうInstagramのストーリーとしてそのイメージをぼくたちからぼくたちへと共有する。
いつだったか、ぼくたちはバンクーバー郊外の田舎風の建物をAir BnBで見つけ、そこに宿泊したことがあったよね。たしか都心部からバスで20分程度はなれたあたりに巨大な一軒家が立ち並ぶひろびろとした地区があり、そこはどう見ても農村ではないのだが、それぞれの家の敷地がとても広いのでたわむれに馬や羊を飼うことができるらしかった。妻切屋根の小さな別棟がぼくたちのための客室としてあつらえてあり、そこには小さな暖炉が用意され、重たいラグのうえに硬い灰色のソファが横たわっていた。巨大な冷蔵庫のなかには小さなメモ(庭でとれた牛乳と卵です、よかったら食べてください)の付された大きな牛乳瓶と卵ケースがあって、首をかしげつつもオーブンと一体型の欧州的コンロで卵を焼いて食べてみるとたしかにとてもおいしかった(そんな気がした)。朝になると冗談みたいな声で雄鶏が鳴き(クックルドゥードゥー!)、ぼくたちは叩き起こされ、庭とも呼べない鬱蒼とした緑の敷地を歩いてみると芝のうえに鶏が駆け出してきて、追いかけると茂みの奥に逃げていってしまった。さらに行くと厩があって、家主の娘と思われる健康的なひとが大きくてふわふわの犬を連れ、囲いの向こうがわにばさばさと干草を投げ入れていた。あるいはバンクーバーでは、絵に描いたような高層マンションの一室でも一夜を過ごしたことがあったよね。ほとんど高層マンションのクリシェそのままの、何もかもぴかぴかに洗練された一室で、その家主は、Air BnBのことがバレると近隣の住人と厄介ごとが起きるかもしれないからなるべく自然に振舞ってくれ、とわざわざ連絡してくるようなひとだった。ぼくたちはエレベーターホールでなるべく背筋を伸ばして澄まし顔をしていたから、さぞかし怪しかったことだろう。
旅行者のためのあらゆる家には暮らしのいびつなサンプルが埋め込まれている。たとえばどの都市にもある外資系ホテルの、あのクラシカルでふかふかの部屋。腰掛けるだけでバネの音が鳴る柔らかなベッド、ぎらぎらした港町の夜景をのぞむ大きなガラス窓、肩が凝るほど重たいバスローブ、淡い植物のにおいがするアメニティ一式。形式どおりの順序で運ばれてくる料理、込み入った細工の施された器、よく泡の立つ透き通った果実酒。あるいは、いかにも逗子や軽井沢にありそうな、なめらかで簡素な線がおりなす空間、うっすらとした色遣い、東洋的な素材を現代的なかたちに加工した什器のかずかず。きめ細かな飾り切り、土地の工芸品から着想を得たカトラリー、ソーダ色の巨大なゼリーが作れるくらい清潔な浴室。あからさまな豊かさによって高められる暮らしには毒がなく、ぼくたちはそれについて語る言葉をさしあたり持たない。他方で、かなりさびしい意味での機能主義にからめとられたビジネスホテルの暮らしを目前にしたとき(それはともすればぼくたちの部屋での明日の暮らしだ)、ぼくたちは何か語り始めずにはおられない。糊のきいた白いシーツ、灰色のカーテン、黄ばんだプラスティックのユニットバス、ポルノ放送の番組表、ロビー階のドリンクバー、甘みの強いロールパンとクロワッサン。たとえ三段ベッドだらけのドミトリーに詰め込まれるのだとしたってもっと自由な安宿を見つけたい、とぼくたちは言う(あの堅牢な扉の鍵は、ぼくたちの私的な生のためではなくビジネスの安全な遂行のためにある)。世界中の貧乏なバックパッカーのためのおんぼろホステルのほうが、駅前のビジネスホテルよりずっと愛おしい。それに——ぼくたちは言葉を選びながら言う——あわよくば、狭くても古くても構わないから、
ぼくたちは答える(そう、あのときこんな風に話したと思う——)。
ロティサリーは肉も焼けるマニ車だからね。
神はとっくのとうに死んでしまった——そしてこなごなになって飛び散ってしまった。「ていねいな暮らし」とは、ぼくたちの日常に貼り付いて離れない祈りの断片でもあるように思われる。ぼくたちは遍在する神々のかけらにちいさな声で呼びかけつづけずにはおられない。油のなじんだフライパンに溶き卵をのばして焼きあげ、何枚ものうすやき卵をまな板のうえに丸めて、けずり落としたようにかろやかな細切りにする。レモンをなるべく薄い環に、しかし決して穴のあかないように切り分ける。メトロノームでアレグロを鳴らすように青葱を刻み、陶器のうつわに盛り上げる。コンロに油が散ったのであれば、アルコールを吹きかけて布巾でこすりとりぴかぴかにする。グラスは曇ることのないよう熱めの湯を用いて洗う。細心の注意をはらって単純な作業をくりかえす。あるいは取るに足らない細部へと向かう感覚を研ぎ澄ませる。草原をおもわせる匂いを部屋いっぱいに満たし、ゆっくりと呼吸をする。弱い酒で頭をぼうっとさせながら画集をひらき、筆致やテクスチャのすみずみにまで視線をそそぐ。泣きたくなる夜には歌詞のないLofiの楽曲に傾注し、浅い眠りが訪れるのをひたすらに待つ。日常のなかにゆるされた、少しばかり役に立つ瞑想。これをエゴイズム、と呼ぶこともまったく的外れではないだろう(「基本的に、ちゃんとする、というのはエゴイズムなんですよね。/テキトーになるというのは、他者のほうに身を開くことである。なぜならば、他者の他者性に「汚染」されたら、自分の望むようにきちんとなどしていられないから。/自分の仕事の丁寧さにプライドを持っているとき、それはバイ菌恐怖などとひじょうに近いことなのではないかと疑ってみること。」)。マインドフルネス、という冷ややかな語によって名指しても間違いとは言えない。ぼくたちに突きつけられた牧歌的な敗北のことはもちろん了解している。でも、どうにか当面は生きてゆかなくてはならない。
ていねいさはどうしてぼくたちを救うのか。ていねいな仕草は、定期的で、リズミカルで、そしてなにより引き伸ばされていなければならない。あまり手際が良くてもいけない(……)。
たとえばぼくたちの手元のすぐそこにある、一輪の花を挿したグラス。ぼくたちの住みかに特別な色を呼びこむためのぎりぎりの呪具。透明を過ぎ越してひらひらと光る水のうねり。グラスは日がな一日ぼくたちの暮らしを見透かしている。萎れていく花。濁っていく水。すべて透明になっていくぼくたち——ぼくたちのからだは決して透明になどなれやしないのに、ぼくたちは節操もなくあこがれてしまう。そこにはどうしても調停が必要だった。ぼくたちは花を活け、いい塩梅に危険すぎないくらいの清浄さをこの部屋に招き入れる。たとえば聖堂の床に不定形の光があやなすときの途方もない魂の震えのことを知らないわけではないけれど、あまりに激しい清らかさは暮らしを暮らしのなかににとどめてはおかない。もし仮に、日々のからだの在りようをどこまでも研ぎ澄ますことができるのだとすれば、ぼくたちは祈りのみに生を捧げる修道士になれるのだろう。でも、ていねいな暮らしを暮らすしかないぼくたちに、しょせんそんな余裕などないのだ。あの花の佇つぼくたちの部屋の窓辺には、いつも埃がうっすらと降り積んでいる。本棚はいつも崩れかかり、やるせない倦怠感のなかでぼくたちはゆるゆるとほどけ、真に清澄になることはとてもあたわない。
「しかし、時はその飛翔を止めない。時は、耳を貸さない。時は、われわれの嘆願、非難はまったく気にもかけずに、音なきその歩みを冷酷に続ける。時は屈することも、方向を変えることもない。ましてや、脅しにひるむことはない。時間の飛翔を遅らせるためには、さらに日々の逃避を阻止するためには、またさらに、時が逆戻りしてその源に逆流し、なんという奇跡だろう、逆行できないものの逆転が成就するには、われわれには、最後の手立てとして祈り、つまり、人間と“どうにもならないもの”との超自然の、まことにむなしい関係が残されている。祈りは、理性の絶望にほかならない。」(ウラジミール・ジャンケレヴィッチ『還らぬ時と郷愁』p.16)
そういえばぼくたちは、毎夏いっしょに短い転居をしているよね。あの場はホテルではなく住宅であり、ぼくたちは実質ウィークリーマンションのような使い方をしている。