View on GitHub

in correspondence

we are tentatively in correspondence …

where we are

The momentum an organism is able to gain on being a person, or rather, on behaving as one–that set of conditions, born of actions taken, that makes person-formation possible–depends directly on how it positions its body. Surroundings invite, provoke, and entice persons to perform actions, and the enactiong motions of these actions not only serve up alternate vantage points but also inevitably shift sense organs about. The shifting about of the sense organs naturally affects how a person fields her surroundings and has much to do with what of the surroundings ends up standing for or approximating the surroundings . ( Architectural Body )

「有機体は人間であることを獲得でき、人間としての行動を獲得できる。それらにかかわるものが、人間へとなることを可能にする条件や生み出される行為の集合である。人間へとなるというこの傾向は、有機体が身体をどのように配置するかに直接依存している。環境は、人間に行為をおこなうよう促し、刺激し、そそのかし、これらの行為の進行しつづける運動が、利点を変化させるだけではなく、不可避的に感覚器官を変容させる。感覚器の変容は、当然のことであるが、人間が環境のどこに位置し、環境のなにともっともかかわりをもつかに影響をあたえる。最終的には、人間は環境に対する位置をとり、漸近的に環境的地平に接近する。」(『建築する身体』)


 GitHubというのは一般にソースコード(ぼくたちとコンピュータのあいだを取り持つ素晴らしいテクスト)のバージョン管理のために用いられるサービスであるけれども、ぼくたちはこれをぜひともぼくたちの(!)バージョン管理のために用いてみようと思った。ぼくたちというのは、ぼくや、あいつやこいつや、まだ見ぬあなたがテクストを裏側から透かし出すための揺れ動く光源、取りも直さず言ってしまえば、すっくと立つことを拒む複数的な語り手のことだ。ソースコードというのはぼくたちにとって他なるものを構築するための命令文として透明に繰り出される(プログラマは少なくとも一人称ではありえないソフトウェアを記述する)けれど、いまぼくたちは、部分的にぼくたちでありながら部分的には他者であり、主体であるように精一杯ふるまいながらも輪郭から砂がこぼれおちていくようなぼくたちを、ぼくたちの内側にいくつかの視点を含ませたうえで、自然言語によって記述してみたいと思う。

 gitにはチームによるソフトウェア開発の役に立つすぐれた仕組みがいろいろと備わっているのだけれど、自然言語の記述にもその一部をまるっきり転用できるということが短期間の試みですぐに分かった。複数人がひとつの連関したテクストを共同編集するとき、単に各々がローカルで編集したテクストを最新版として共有するだけでは、誰かほかのメンバーが同時に別のローカル環境で編集した内容が上書きされてしまうことがある。Googleドキュメントのように自動保存によってみんなで同時に編集を行えば確かにみんなの変更がリアルタイムでテクストに反映されるけれど、それにしても、だれがどこを編集したか分からなければ、なにを前提に部分を書き進めているのか不明になるのでテクストの全体がちゃんと作動しているのか分からない。同時編集によって起こりうるこうした不整合を回避するためにプログラマたちが充実させてきたのが、編集によって生じるテクストの差分をリモートおよびローカルで独立に管理するというgitの方法およびそれを用いたサービス(GitHubなど)であるとぼくたちはひとまず理解している。

 gitの主要な仕組みと概念は以下のような感じだ(とはいえぼくたちはプログラマではないので、詳しくはググってみてほしい)。メンバーそれぞれが作業するためのローカルリポジトリがそれぞれのPCかどこかにあり、それらの作業結果が集約されるリモートリポジトリがどこか遠くのサーバーに設置される。まず、初めてそのテクストの編集に参加するメンバーは、リモートからローカルへ、編集対象のテクストを丸ごとcloneする。そのあとそのテクストに対してローカルで変更を加えていき、その結果テクストの部分がある程度まとまって作動するようになったら、そのたびにその差分をローカルにcommitしておく。そして、みんなで編集しているテクストの全体と合わせても問題ない状態にまで変更を加え終えたらpushし、するとローカルでcommitしておいた差分がすべてリモートに反映される。cloneするのは最初の1回だけで、あとは作業を始める前にその都度リモートからpullするようにしておけば、みんながリモートに集積させた差分が今度はローカルのテクストへと反映される。

 編集されつつあるテクストは必ず差分の集合体であるので、commitのログをたどるだけでぼくたちがどのようにテクストの総体を変更したのかすぐに把握することができる。これはWordの校正機能なんかを用いるよりも遥かにシンプルな仕組みだ。ギンズとアラカワやドゥルーズとガタリがどのようなテクニックによって共にテクストを紡いでいたのかなんてぼくたちには知るべくもない――ことドゥルーズとガタリに関して言えば草稿研究からある程度判明しているが――けれど、たぶん彼らもgitがあったら喜んで使用したに違いないと思わず妄想してしまう。差分が簡単に把握できるということは、あらかじめ(例えば章別に)執筆の分担を決めておく必要も、(対談のように)発話の部分部分に対してあえてクレジットを残す必要も全くないということで、だから書き手であり語り手であるようなぼくたちは、自然体として最初から複数であることができるようだということが次第に分かってきた。

 このウェブサイトの上部に”View on GitHub”というボタンがあるので、これを試しに押下してみると、ぼくたちの使用しているリモートリポジトリに辿り着く。GitHub上のソースコードを変更するとそれがすぐさまこのウェブサイトとしてデプロイされるようにしているので、だからぼくたちが編集途中のわりあいぐしゃぐしゃのテキストもそのままウェブサイト上で見えてしまうという仕様だ(ソフトウェア開発なんかの際には未完のコードがそのままデプロイされてしまったらもちろん困るので、brunchという仕組みを使って開発用とデプロイ用の管理を分けているのだけど、ここではむしろプロセスが見えてしまってもよいと思ってunder developmentのテキストもそのままにしている)。もしこの場所を利用して誰かと何か書いてみたいと思う方がいらっしゃったら、GitHubのアカウントをつくった上で、DMでもなんでもいいので連絡をいただけるとすごくすごく嬉しい(末尾にぼくたちのTwitterアカウントを記載しています)! 少なくともこの共同編集はやってみるとなぜだか異常に楽しいということは請け合いなので、どうぞ遊びにいらしてください。

 ここはいわゆるオープンソースというやつだけど、それでもってLinuxとかWikipediaのように人類の叡智を加速的に集結させたいわけではぜんぜんない。むしろどこまでぼくたちがぼくたちの人間らしさ、近代的主体(!)らしさから遠く離れることができるのか(あくまでテクストの愉悦をやんわり保ちつつ、ということになると思うけど……)に興味があるし、翻ってそれぞれのテクストが唯一の完成に至るかという点はあまりこだわりがないような気がする(我々の辞書に脱稿の二文字はない!)。gitを使いたくて一人称複数を試みたのか、それとも一人称複数を用いたくてgitの方法を採用したのかを二者択一に問うことはできなくて、たぶん、どのようにすればもっと愉快で創発的な共同制作をやっていくことができるかを試してみたいだけだ。これからぼくたちがどのようなことを書いていくのかほとんど何も決まっていないけれど、少なくともこうした方法、つまりこのように形作った環境が、文体や時制や記憶を気持ちよくディスラプトしてぼくたちの詩情を、言語を、行為を、主体性を、感官を、新しい地平に連れて行ってくれたら、ということをうっすらぼんやり期待している。

where we talk

ひるめり @hirumeri
s.kawano @kkhaiya