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in correspondence

with starlit

09 May 2019

忘れられし、リンデルンの第一世代、ぼくらのご先祖さま。彼らはいつから、どのようにこの星へ辿り着き、暮らしをはじめ、数々の功績を打ち立てたというのか(なんて、過去の航海記録もすべて焼失しまったいまとなってはもう、わかるはずもない)けれど、たしかにmotherはその頃から自走をつづけていたらしい、はじまりは船団員が戯れに作ったログであったとも、人工星のひとつだったともいわれている。motherではよく、雨が降っていたので、地球を懐かしんだ船団の皆もそのときばかりは防護服を脱ぎ、子供のようにはしゃいで遊んだという。ひかりの、水の、星の、雨のなかを。


衛星屑は、三日三晩降り続いている。星屑みたいに素敵な、過去の欠片たちが還ってくる季節、ほとんどは使えないものだけど、中には再利用できる部品もある(大気圏のある惑星では燃え尽きてしまうんだってね)、光源に透かしてみると、ぼんやりと青白くひかりを帯びるので灯り代わりにもなる。

惑星の裏側に集積された屑が、幾十年かに一度降り注ぐ時期があって、ぼくたちはそれを衛星屑と呼び、一生に何度も(或いは一度も)やってこない季節を衛星季と名付け、ちいさい子たちはヘルメットをかぶって生活することが義務付けられている。

衛星屑以外にも、町外れのゴミ捨て場(ガラクタ牧場と呼ぶひともいる)には、いろいろの手触りをしたものが落ちている。部屋のクローゼットを満杯にした時はかあさんに怒られた(最悪の場合、そのまま捨てられたりもする)ので、近頃は選りすぐりだけ持ち帰るようにしている。植物図鑑の切れ端、ボール、靴の紐、スマホケース、針金にレシートにそれからみんな、かつての人類が残してきた生活の残骸たち、いまはもう要らないものたちよ。

ーー打ち捨てられるものばかりが、ひどく魅力的に映るのはなぜ?

ーー捨てられたものに拘りを覚えるわけではないのよ。捨てられたものこそがつきまとうの、幽霊のように。打ち捨てられたものは、皆主人を持ってるの、固執するべき記憶をもっているのよ。

ーーねえ、あなたたちはつきまとってるの、それとも、つきまとわれているの、それは何なのかしら? とおい、とおいリンデルンのこどもたち……

瞼の裏にわずかな燐光を感じ取り、ぼくは生まれたばかりの赤ん坊のように覚束ない呼吸をして、ふたたび定まらない光を暗闇の中に探す。祖母の手に収まる衛星屑を認めたとき、ようやく声の主を、容易に忘れることができたのだった。

衛星屑の降り注ぎ終えたその日の夜は、燭台すらも飲み込んでしまうほどの、ひどく重たい闇が蔓延する。世代によってはタブレット一つでなんてことのない夜になるそうだけど、ぼくの身体はこの夜をひどく怯えるようにできている。闇が、緞帳のように立ち上るこんな夜には、祖母は決まって灯台守のようにぼくを照らすために石を忍ばせている。彼女が祖母から、そして彼女の祖母も祖母から、譲り受けたという石。ぼくが、まだちいさなころはよくこの石を欲しがり、ひどくむずがったものだった。そのたびに祖母は、あなたが大きくなってそのときが来たらきっと、きっとね、と優しく頭を撫でてくれるのだった。

ーーこれはいずれ、いずれのおはなしで……

手元の灯を頼りに、昔と同じようにぼくを撫ぜ、はるか未来に去来すると言う御伽噺を、読み聞かせてくれる祖母。 ぼくは、ふたたびのふかい、ふかい眠りへと誘われてゆく……


かつて、earthという惑星には公園という建物のない空間があった。また学校という建物があり、子供たちは朝になると列になって歩道で笑いさざめき、休み時間には、輪になって踊ったという。家に帰れば、兄弟や姉妹といった別齢の子どもたちがいて、眠りにつくそのときまで、布団のなかでささやきを続けていたという、あれから随分と経って、motherは一家庭につきひとりの子どもをつくるように、と指示を出した。医療技術の発達によって老人たちはなかなか旅を終えない身体になっていたし、増え続ける若年人口を支えてゆくほどの余裕がこの星にはなかった。厳しい初期植民時代をくぐり抜けた世代を親にもち、産み、育て、満ち満ちよと教えられて育ってきた世代のなかにはmotherの方針に反発するものもいて、彼らはけっきょく、あらたな星を探し、航海へと旅立ったのだった。

政府主導の、大規模な果樹園の開発が進められたのもその頃だった。梨、林檎、蜜柑をひとびとが毎日ひとつずつ食べられるようにと彼らは言った。スーパーから野菜棚がなくなったのはその政策がはじまって一年目の春で、郊外から畑がなくなり、その代わりに工場がつくられたのは五年目の夏だった。トマト、ピーマン、きゅうりに人参を知らない赤ん坊たちがどんどんと生まれ落ち、地に満ちていった。その夏、一学期の最終日、旧いこどもたちは失われてゆく野菜たちにはなむけとして手紙を書いた。手紙は各学区で纏められ、カプセルに種と共に収められ、宇宙へと次々に打ち上げられていった。

生活区はどこまでも平らに整地された土地で覆われており、1ブロック毎に区画分けされていた。娯楽といえるものは特になかったが、流星群が降るときだけは昼も夜も関係なくひとびとは灯を消し、星を見上げた。motherはしばしば、真昼の蜃気楼のように海をみせた。今となっては旧いひとびとから口伝で伝えられるだけである母なる海が波を、寄せては返し、寄せては返しをしながら、ひとびとの頭上へと降り注ぎ、星星の間へ青を揺らがしながら過ぎ去ってゆくのだった。



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